frenetic blog 2004/6

2004-06-19

しばしさようなら

3月ぐらいから,職場と自宅のマシン2台で1つのデスクトップサーバーを運用してきたけど,いつのまにかリンクがうまく働かなくなっている箇所があったりして,あまりうまくいかないようだ。
やっぱりおれの条件では,ウェブログツールはリモートのサーバーで動かした方がいいみたい。というわけで別のツールに移行するので,しばらく休みます。
たぶん再出発はそんなに難しくないけど,古いデータを移行するのが大変なんだよね。トラックバック送った先の迷惑というのもあるし。1回フォルダ構成を変えてしまった前科があるんだけど。

posted at 00:13:04    #
 
2004-06-17

木下あゆ美

なんか,かわいい時とそうでもない時があるなあ。公式ホームページで木下写真館というのが始まっているようで,6月のイベントのときの写真が出ている。「お顔を最終チェック中」の写真は別段かわいくないけど,「人生はワンツーパンチ!!」はめちゃくちゃかわいいなあ。「萌え死」という表現はこういう場面で使えばいいのか。

posted at 00:42:56    #
 
2004-06-15

テレビから読書

高校に入ったぐらいから大河ドラマは見なくなっていたんだけど,家庭を持って生活パターンが固定化されてからまた見るようになった。『葵徳川三代』ぐらいからずっと見ている。今年の『新選組!』は,よく工夫されていて毎回楽しめる。驚くほど素人くさかった一昨年の『利家とまつ』とか,昨年のかったるい『武蔵』(途中で見るのやめちゃった)とは大違い。それなのに三谷幸喜はバッシングを受けていて視聴率も振るわないというのは謎だ。別のことをしながら見ても十分理解できるぐらい軽く作らなきゃだめなんだろうか。

新撰組のことはこれまで全然知らなくて,近藤・土方・沖田と,かろうじて永倉新八の名前を知っていたぐらい。その永倉のことを知るきっかけになったのは池波正太郎の短編だかエッセイだったのだが,大河ドラマと同じ主人公の長編『近藤勇白書』(新装版 )が文庫で出ていたので買ってみた。さらっと読める。田舎者で素朴な近藤勇は,憎めない,感情移入のしやすい人物として描かれている。ドラマの香取慎吾よりも老成したイメージ。江戸で集められた浪士組が京都に上る途中,宿を割り振られてなかった芹沢鴨(佐藤浩市はなかなかいい雰囲気を出している)が拗ねてでかい焚き火をする回があったが,同じエピソードがこの小説にも出てくる。ドラマでは沖田総司を芹沢がかわいがる設定だが,この本では同じ役回りが永倉新八に与えられている。どこまでが史実なんだろう。三谷幸喜は池波先生の小説を何かしら参考にはしているのだろうか。

そのへんのところを手っ取り早く知りたいと思ってはてなダイアリーや関心空間を見てみたけど,驚くほどS/N比が低かった。

posted at 23:58:08    #
 
2004-06-14

Ben Watt

Ben Watt がリミキサー/DJ としてどれくらいの力量の持ち主なのか知りたいのでまとめ買いしてみよう。

ついでに
Lovers Rock (Sade)
モン・シロ(岡村靖幸)
Symposium(岡村靖幸)

posted at 22:37:04    #
 
2004-06-12

Ray Charles (2)

mhatta 氏の記事を読んで悔い改めて,結局レイ・チャールズを聴くことにしてアマゾンに注文した。
プロの音楽評論家の皆さんもこれくらいの情報量のある文章を書いてくれればいいのになあ。でも彼らの書くものが活字になるのはまだ先なのか。
これぐらいの人になれば一般紙でも追悼記事は早めに用意しといてほしいけど,用意しててもあの程度だったりして。

下北沢に Ray's Boogie という店があって,読んで字のごとくレイ・チャールズが好きな人がオーナーだと思う。仲間内では人気の店で,生まれて初めてズブロッカというものを飲んだのがあそこだったんだけど,今もあるのかな。

posted at 23:30:24    #
 
2004-06-11

[News] 律儀なレッシグたん

話はそれるが、Lessig Blogの日本語版はittousaiさんの訳によるものなのですね。RSSを見るとそう書いてある。

てことは ittousai さんは坂和敏さんなのか。 だからどうというわけでもないんだけど,1年前にCNET編集長の山岸氏が,「うちの編集の坂和さんががんばって翻訳してます」なんて書いてたことを思い出した。 こういうことは伏せておいたほうがいいのかなあ。

休眠中のサイトenglishbooks.net が復活する日は来るのだろうか。

追記:ittousai さんは坂和さんではなく女性なのだそうだ。お騒がせしました。

ソース: diary.yuco.net
posted at 17:44:48    #
 

Ray Charles

この人の歌をちゃんとした形では聴いたことがない。TVのCMで「いとしのエリー」英語版を歌わされていたのを見たことはあるし,Georgia on My Mind ぐらいは耳にしたことがあるけど,こういうだれもが名前だけは知っている偉人を積極的に聴こうという気持ちになることは少ないのだ。ロイターの記事で挙げられているルイ・アームストロングとか,チャック・ベリーもその類に入ってしまう。

もちろん,いろんな人に直接間接に影響を与えた人だというのはわかっているし,聴けばそれなりに楽しいんだろうというのもわかっているけれども,あえて聴こうという気分にならないのはなぜだろう。

日本のミュージシャンによるへたなパクりというかリスペクト(笑)で満足しちゃいけないといって勉強不足の若手ミュージシャンを見下したりしている態度と矛盾しているじゃないか。
ネットでの二次情報の氾濫を嘆く態度とも矛盾する。

でもやっぱりわざわざCDを探して買おうとは思わないんだよな。

リアルタイムで触れたことのない偉人には興味が持てないのかとも思うが,ジミヘンなんかこの範疇に入ると思うけどCDを買って聴いている。歴史として完結してしまった人と,死後もまだアクチュアルに影響を及ぼしつづけている人の違いなのかな。

さて,ロイターの記事では夏の終わりにデュエットのアルバムが出ることが告知されているんだけど,日本語の記事では見かけなかった。こういうところまでちゃんと拾ってくれればコンテンツ産業としてはありがたいのに。

posted at 13:16:00    #
 
2004-06-10

Dan Fante

John Fante(ジョン・ファンテ)はチャールズ・ブコウスキーが敬愛していたイタリア系米国人作家で,1983年に亡くなっている。Ask the Dust『塵に訊け!』として邦訳されている。

Dan Fante はその息子。劇作家らしい。小説も書いているようだ。父親と同様,やばそうな感じ。

posted at 10:46:40    #
 
2004-06-09

ウィッシュリスト

posted at 23:19:44    #
 
2004-06-08

西島大介

揮発性メモで,日経流通新聞 6/8 の記事で西島大介『凹村戦争』が紹介されていたのを知る。

SFでもないミステリーでもない、不思議な魅力の作品が浸透する背景には、漫画批評家から哲学者まで巻き込んだ早川書房の新手の売り込み策があった。

そうなのか。「哲学者」ってだれ?
それにしても,ウェブ記事では著者の名前が一切出ていないのはなぜだ?

posted at 15:02:40    #
 
2004-06-07

モーニング娘問題

結成当初のメンバーがいなくなることが一部に波紋を起こしているようで,なんだかご苦労なことです。音楽のグループ名を分類すると,次のようになる。

  1. 地名+属性 例)ボストン交響楽団
  2. 団体名+属性 例)NHK交響楽団
  3. 人名A+属性 例)アルバン・ベルク四重奏団
  4. 人名B+属性 例)マイルズ・デイヴィス・クインテット
  5. 修飾語+属性 例)子供ばんど,イエロー・マジック・オーケストラ
  6. 擬人名 例)The Beatles

人名AとBの違いは,Aはそのグループに属さない人名であって,先達を記念した団体名になるのに対して,Bはそのグループのリーダーを指す。

下に行くほど固有名詞度が高まる。というかグループ自体が一つの人格を持つかのごとく扱われる度合が高まる。

クラシックの分野では,より普通名詞に近い上3つのタイプがほとんどなのに対し,ポップミュージックの世界では下3つのタイプ,特に擬人名タイプに集中している。

成員の流動性もこの名づけの分類と相似しているはず。つまり,普通名詞に近いタイプは,メンバーが入れ替わるのが普通というかほとんど前提になっている。これに対して,固有名詞に近いタイプでは,1人でもメンバーが欠けると解散を選ぶ事態も起こりうる(Led Zeppelin とか)。

ジャズの世界では,カウント・ベイシー楽団とかデューク・エリントン楽団などが,創設者の死後に後継者が現れたために3番目の類型に近づいたようだが,人気が持続しているとも思えないので,このまま消えていくのではないだろうか。

もう一つ命名システムとして,日本の伝統芸能で採用されている名跡制度があるが,団体名とは使用頻度(というか重み)に差があるようだ。よくわからないが。このへんをじっくり考察してみれば面白いかもしれない。

というわけで,「モーニング娘。」がどの類型にあてはまるかよくわからないしどうでもいいが,ポップミュージックも年輪を重ねてくるといろいろ面白いことが起きるなあという話。

posted at 13:18:08    #
 

Warner Jazz

これは知らなかった。確かに90年代中盤のワーナーは,若手~その域を脱した実力のあるミュージシャンたちの集うレーベルだったわけだが,なくなってしまったら,その受け皿になれるのは Verve だけ?
いち早くリストラの憂き目にあった Larry Goldings と同じように,独立系のレーベルに移らざるを得ない人も多いんだろうな。

posted at 00:21:36    #
 
2004-06-04

あの頃、マリー・ローランサン

タイトルのリンク先は,坂本龍一のサウンドストリート(NHK-FM)に加藤和彦がゲスト出演したときの様子を書き起こしたもの。話の中でデビッド・ボウイが『レッツ・ダンス』当時36歳だったことがわかる。んー,今のおれと同い年か。

加藤和彦の『あの頃,マリー・ローランサン』がリメイクされて『あの頃、マリー・ローランサン 2004 A TRIBUTE TO K.Yasui&K.Kato』としてソニーから。原作のトラックをそのまま使い,ヴォーカルだけをゴスペラーズの人とか椎名純平とかのヘタレ若手ヴォーカリストのものに入れ替えたという,何じゃそりゃのアルバム。案の定,ディスクレビューでは「トラック8点,ヴォーカル5点」みたいな点をつけられていた。くさすなら自分の耳で聴いてからにしろ,と言われそうだけど,CCCDなので買う気もないし。

トノバンのインタビューが載ってる『ミュージック・マガジン』6月号で知った。この企画ものに本人は全然タッチしてないのだそうだ。あんまり興味なさそうだった。加藤和彦再評価の機運をどう考えているか訊いてほしかった。「3部作」(『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』)はなぜ廃盤のままなのかとかさー。はやく復刻してくれー。

posted at 12:39:44    #
 
2004-06-03

Plog

John Scofield, Steve Swallow, Bill Stewart のトリオによるニューヨークのブルーノートでのライヴ盤 EnRoute は5月11日にリリースされていたようだが見逃していた。 今日これを思い出したのは Amazon.com の "plog" がきっかけ。plog とは "a personalized blog" のことだそうで,アマゾンがこれまでやってきた「おすすめ」の発展形というか,版元あたりが作った単純な宣伝文ではなく,より中立的なライターによるブログを記事単位でデータベースからひっぱってくるという形のようだ。

そうやって読ませる仕掛けを作るのはいいんだけど,EnRoute についての Lloyd Sachs の記事には異議あり。「1990年の "Time on My Hands" 以来の最高傑作」とは何事だ。

posted at 11:08:00    #
 
2004-06-02

I

中学校の英語教科書にはちょっと変わったフォントが使われている。

欧文フォントにはセリフ(ひげ)のあるものとセリフのないもの(サンセリフ)がある。中学1年生用の教科書には,サンセリフのものを使うのが常識とされている。というのは,生徒は教科書の文字をまねて書く。手書き文字と活字体の区別がついていない最初の段階では,小文字の a の形が手書き文字と活字体で異なることを知らず,教科書に載っている形をそのままなぞってしまう。それを避けるために,教科書ではサンセリフのものを載せるようにしている。教科書会社の配慮である。

ところが,サンセリフで統一しているかというとそうではない。通常はこの2つを同一の文の中で混在させることはありえないのだが,大文字の I という難関が立ちはだかっている。なぜか大文字の I はひげを付けなければならないことになっているのだ。小文字の L と区別がつくようにという理由で。したがって教科書では,大文字の I だけ特別にセリフを付けることにしている。

a の形はともかくとして,I についてはセリフを付けさせるのはおかしい。文頭なら I と L は明らかに形が違うし,小文字の L が1文字で独立した語として現れることはありえないし,語中で I の大文字が出てくるはずもない。間違えて困るのは I で始まる固有名詞(Iowa とか)だが,これも混同の可能性があるのは I の後ろに母音字が続く場合だけであって,中学生レベルではほとんど出てこない。英語話者なら,手書き楷書体(いわゆるブロック体)の場合,小文字の l も大文字の I も縦棒1本で区別しないはず(いわゆる筆記体,漢字の草書体に相当する書き文字の場合は明らかに異なるが)で,あえて日本人向けの特殊なルールを作る必要もないと思う。ところが中学校の英語の先生の中にはバカもいて,「ひげがなくて l と区別がつかないから減点」なんて指導をする輩がいるらしいのは嘆かわしいことだ。

ところが,CDジャケットのタイポグラフィに,上記のようなわが持論に真っ向から反するものがあった。澤野工房から出した "Fluide" (Baptiste Trotignon Trio) である。フランス人の盤なのに,見事なまでに大文字の I にひげが付いている。違和感ありまくりなんだが,Artwork from a design by Lili K. と書いてある。これでは Lili K. という人がデザインしたのかどうかよくわからないし,その人が日本人であるかどうかもわからないのだが,日本人であってほしい。

さらに調べると,澤野工房が出す以前に,naive というレーベルから出ていたらしく,そのアートワークを見ると,I にひげは付いていない。やはり日本人が余計なことをしたもののようだ。

でも,このウェブログの書体も基本的にサンセリフなんだけど,I にはひげが付いているなあ。ということは「サンセリフの I にひげを付けるのはおかしい」というのは単なる思い込みだったのか。

補足:SansSerif
6/2段落の順序を入れ替えた。

posted at 00:04:32    #
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