How to Lead a Non-Material Life

May 18, 2002

物から自由になるということ

家を持たず,誰に支配されることもなく,行きたいところに行ってやりたいことをやる,それは男の憧れ。 だから,そういう傾向の作家が好き。 また,そんな生き方を実践していたブルースマンたちに憧れた音楽家の作る音楽も好き。

ブルースマンその人に直接アクセスしないところがいかにも中途半端だ。 その中途半端なところにも相通ずる,思うこととすることの不一致を20年と少し続けてきた結果,自由になりたいという思いだけを共有する本やCDで棚があふれかえってきた (あと,自由なんかとは全然関係ない本やCDもあるし)。

# この項目,一見かっこつけた標題にしといて中身を読んでみると
# 腰砕け的に情けなくて笑えるような文章にしたい,と意図してい
# たけど,なかなかそういう芸当はできないなあ。

もう「自由」になることは無理かもしれないが,せめて「身軽」になることはまだできる。

自分の親の話を聞いて思った。 先日父親が,ついに母親の説得に折れてかどうだか知らないが,ためこんだ本とレコードを処分したら,購入金額は家がもう1軒建つほどになる計算だったとか。 価値の高いものもいくらかはあったようだ。

それと比べれば俺の持ち物など,中古市場ではほとんど値がつかないようなものばかり。 整理ができなくなった,というと前はできていたかのようなので不正確,実際には整理のできなさに拍車がかかったのは,個人的なものにはかけがえのない価値があると思いだしてからだ。
たとえば,かつて切手収集がブームだった頃,新品をシートで持つのがいちばんで,バラになると再流通価値は大幅に下がり,使ってしまうと価値はほとんどゼロ,とされていたと思う。 しかし,新品収集とは別に,使用済みのものを収集するコレクターもいて,そういう市場も成立しているという話を聞いて,感心した覚えがある。 文豪の私信に価値があるのは当然としても,それは切手そのものに価値が出るわけではない。 使用済み切手(というより封筒も含めた通信物そのもの)に物的価値がつくのだ。 市井の人どうしの手紙に使われた切手に対しても,その使われ方しだいで稀少性が出てくる場合がある。 それは,消印の捺し方とか,どこからどこへの通信だったかといった面での資料的価値だったりするし,ほかにも何か考えられるのかな。

また,英語学研究で言う ephemera(短命なもの),パンフレットや説明書類は,現代英語の資料として時事英語の一部をなす大事な部門だ。 これらは語法なんかの面で新聞や雑誌で用いられる英語とはまた少し違う独特の傾向があり,研究資料として,そのもの自体ではなくて総体として集積したときの価値が大きい。 また,網野善彦先生の著作などで再三ふれられているような,襖の裏紙として残った古文書が歴史学上の空白を埋める研究資料になったりもする。 とすると,CDシングルや雑誌はおろか,映画やコンサートの半券とか葉書なども,個人レベルの次元の低い話かもしれないが,歴史を振り返り読み直す作業のために役立つ日がくるかもしれない,と思ってしまったわけだ。

そうなるともう本当に収拾がつかなくなる。 引越しなんか持ち物を処分するのに絶好の機会だけど,いったん整理を始めると,「ああ,そういえばこんな本も持っていたな」と思って手に取り,読み進めているうちに思い出がよみがえったり新しい発見があったりして捨てられなくなってくる,ということを何回も繰り返した。 しかしこのほどやっと一念発起,棚に各一列で収まる分量に整理することにした。 ここで手放してしまったらもう二度と手に入らないにちがいないものもたくさんある。 でもここは泣いてバショク(字が出ない)を斬る覚悟で(言葉の使い方ちょっと違うか),ネット上にメモを残しておいて,物体には消えてもらおうと思う。

手元から消すもの

  • 書籍
  • CD
  • 領収書類(あたりまえだ…さっさと捨てろ)
  • 写真
  • 映画やコンサートの半券(スキャンしてどこかに置いとこうか)

記録の保存ということ

一般的には,記録を残しておくのは大事なことだ。 それをだれがやるべきか,というのはけっこう難しい問題で,ある行為が記録に残せるような形をとり始めた段階で記録者を決めたり決まったりすればいいんだけど,決まらないまま時機を逃すことも多いだろう。 山形浩生さんの「今月の喝! ネットへの過度の責任要求と安易な削除」にはこうある。

 ネットではいったん出た情報は消せない、すぐに無限のコピーが出回るから、とされる。でも今回でわかるのは、実は意外と簡単に記録の消去書き換えができてしまう、ということだ。印刷物なら、いったん書かれたことはそのまま残るし、またそれを保存する仕組みもある。でもネットでは、それがない。歴史のねつ造や改変は、実はずっと簡単かもしれない。それをどうにかしようとするプロジェクトはいくつかある。でもまだ発展途上だ。

野口悠紀雄は『「超」整理法〈3〉』に,「個人の記録なら今の(というか出版当時の)標準的なパソコンのハードディスク(2Gぐらい?)に十分おさまる」みたいなことを書いていたけど,人によって保存したいファイルの種類も容量も違うし,その頃とは違って音や動画もデジタル化するのが一般化してきているのだから,個人のものだけで考えても,必要なストレージのサイズはさらに大きくなっている。 それに記録の集積となると,行政の取り組みなんて全然追いついていないんだろうな,と想像する。

やっぱりとっておきたいもの

どうしてもとっておく必要があるものって何だろう。 自分の人格形成に大きな影響を与えたものは,どうしてもとっておきたいものだけど,かえってそういうものほどなくしがちで,また別にとっておく必要も実はなかったりする。

  • 書籍(著者:順不同)
    • 辻邦生(いつか熱く語りたい)
    • 池波正太郎
    • チャールズ・ブコウスキー:すばらしいサイトがここに。
      あと,自分でも作ってみた

音楽はそれほど保存にこだわらなくてもいいかもしれない。 どうせ一回性のもの,と割り切れば。

最終更新 2004-05-26 21:33:04

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俺だってシンプルに生きたいとは思っているんだけど

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© 2004, Jun Sakamoto